荏原 泉美Izumi Ebara
1人での活動をへて
MYUUXの仲間に
一人だと1でしかないものが
10にも100にも
広がってゆくことを感じています。
司会業を目指すきっかけと
経歴を伺えますか。
実はアナウンサーになりたかったんです。大学3年生の時に某テレビ局のアナウンススクールに通い、就活では局アナも何社か受けたのですが残念ながらご縁が無く、マスコミとは無関係の企業に就職しました。1年間会社員として勤務して、やはり自分のやりたいことをしたい気持ちが強くなり退職。昼間は派遣社員、夕方からは社会人向けアナウンススクールに通いました。
その頃ある方に「メディア以外にも声の仕事はあるよ。ウェディング業界とか」と言われて。まだ23,4歳で結婚式参列経験も知識も無かったのですが、紹介で司会事務所に入りました。
声や言葉に関しては学んでいたこともあり半年を待たずに司会者デビュー、平日は派遣でOLを続けながら週末は結婚式の現場へ行くというWワーク。2年が経った頃にふと、表舞台に立っているけど結婚式の裏方のことはよく分かっていない、ただ喋っているだけでいいのか?と疑問に思い、ウェディングプランナーの道へ飛び込むことにしました。
神戸の会場でプランナーとして3年経験を積み、新規会場設立の際には開業準備室のメンバーとして1年を過ごしました。そんな時に私自身が結婚することに。夫の拠点が東京だったので退職を決めました。
未練はなかったのですか。
トータル4年。夢中になって駆け抜け、私自身はやり切った感がありました。次の人生を考えた時に、家族を大事にするということも大切なことだなと。プランナーを続けていたら夫と休みは合わないので、今度はプランナー経験を活かして司会業を再開。東京での仕事がスタートしました。
私は2回出産していますが、産休・育休を取りながら司会業を続けてきました。一人目を出産したのちに事務所を退所して独立。今までお仕事をご一緒してきたクライアントさんやパートナーさんとのご縁のおかげで独立後もコンスタントにお仕事を頂き、子育てしながら自分の範囲内で仕事が出来る環境は本当にありがたかったです。
フリーランスとして順調に10年。
ミュークスにジョインすることに
したのは何故?
我々は、事務所に所属していてもフリーランスでも現場に行くのは自分一人。でも事務所には分かちえるメンバーがいます。個人の場合、同業者と接する機会がない限りずっと一人です。すると、自分の色や自分のやり方に凝り固まってしまってスキルアップの機会も減ってゆきます。無意識にそうなっていることに、これはまずいんじゃないかと。子ども達も成長して、自分が働ける時間も広がってきた。もう少し仕事の幅を広げる為にも自分を高めていかないといけないと思い、他の司会者のことを知りたくなったんです。
唯一無二、新郎新婦様の為にプロフェッショナルでありながら柔軟でナチュラルなカラーの人に会ってみたかった。そんな時に知ったのがミュークスの永吉美紀さんでした。
連絡されたのは
コロナが始まった頃ですよね。
コロナで仕事が全てストップ。今後のことを深く考えていた時、このタイミングだからこそ美紀さんと話してみたいと思ったんです。
実際お話したら想像通りの方でした ! 絶対に立ち止まらず、常に斜め先を見ながら、皆と同じ目線になってウェディングを作っている方だなと。ミュークスでお仕事をしてみたいと思いました。
ジョインして2年半。
フリーを経験してきたからこそ見えた
チームの良い点は?
皆さんMCとして色んな幅を持っていらっしゃるので、自分では気づけなかった考え方や表現方法に触れられるし、それを皆で共有できる。一人だと1でしかないものが10にも100にも広がってゆくことを感じています。またミュークスはブラッシュアップする場を設けてくれているのが素晴らしいです。個々をプロフェッショナルとして育てて、且つ、更に羽ばたいて行けるよう考えてくれているので人間力も磨かれますね。
最後に司会の仕事に興味を持って
くださっている方へメッセージを。
司会としての経験が無くても、今までご自身が歩いてきた人生が必ず自分の実になっているはずです。いくつになっても、いつからでも、勇気を出して自分のやりたいことにトライされたら、間違いなく目の前の人生が開け、もっと豊かになっていくと思います !